昭和52年08月03日 松村家霊祭
親の式年のお祭りを、子供たちが、又は、松村さんたち夫妻が、真心込めて奉仕をされた。こう言う様な、その真心の込もった、例えば霊祭が、今度はあなた方が、今度亡くなった時、魂の世界に入った時に、子供たちがこんな思いで、
※テープが変わる
対談
女の人の声:
「何にも、分からりませんもんですからね。とにかく、今朝、熊谷さんに、ご相談して、あのう、お昼から、(? )。お昼から出らしせて頂いて。」
初代:
「神様が、いってござる証拠ですのう。いろんなもう、端々の働きがのや。今のその(? )さんの話じゃけれどもね。太鼓のバテを忘れとったということも、おかげじゃろうが。だからこそ、取りに行った。(?行きがけに用意)しとった。用意しとらなかったら、途中で、太鼓打たれんごとなっとる、ね。なんとんかんとん、言えんですね。」
女の人の声:
「(?鳳凰)ですか。龍とか、(?鳳凰)とかね、(?おひきたてに)、カレンダーに、(ほうこう)というカレンダーで頂きまして。」
初代:
「カレンダーに、鳳凰の絵がついとる。」
女の人の声:
「最初が、あのう、日光の。お宮さんですかね。今年一月か、その(? )、ずっと。この前、お手伝いの、原鶴に御礼に電話がかかってきて、いろいろ、(? )来て頂きまして。(? )」
初代:
「神様、そういう、その輝かしいね、ひとつ、おかげを頂かんならんですね。ちょっと、時間、今、何時でしょうか。まだ、時間ある。」
男の人の声:
「親先生、まだ、お届けが、そのう。」
初代:
「そうですか。(? )」
「あと一人行きますか。」
女の人の声:
「親先生、本当、有難うございます。」
初代:
「末永先生のですから。」
テープが変わる
チャンネルは違うんです。テレビをちょっと、あのう子供たちがひねっておるところを、丁度ここに出てきとるのが、野球の小学生に、野球をなんか野球のまぁもと選手か、なんかしておった人が、その基本的から基本のところから、その教えておられる場面が出てきたんです。私それ見ながら「はぁ何でも同じことで、基本が大事だのう。」と思うて、それから、もう何時間かしてからまたそのテレビ見とると。
丁度そこに今度は庭球のね、庭球の基本的な姿勢というそれを、あのうそれをスローモウションで、ずっと映しながら説明をしておるところを、期せずして野球とその庭球の、ただ我流ではいけない。こういう根本姿勢というものを作ってからの、けいこでなからなければ、本当の上達はしないと言う事を聞いてね。今私が合楽理念と言っておる、このことはお互いの信心姿勢というものを、いよいよ作ると言う事なんだ。
どうでもだから、この信心姿勢を作らなければいけないです、例えば成そうと思えば、子供でも成せる様な事。子供でも成せる様な事を疎かにしておる。いかに信心のこうしゃの言が分かっても、「こうする言が信心だ。」と言われておっても、それを成さなかったらおかげはもう、そっから漏れてしまう様なもの。どんなに生き生きとした、神様を頂いておっても、いわばこちらが、いうならばおかげを漏らし落してしまう。
昨日今朝から、森部の高山さんがお礼に出てきて、この婦人総代さんですか。本当にこの頃からあのう、伊万里市長の竹内先生のご講話を頂いて、本当に合楽理念をあのようにも、見事に現していっておられる。しかも些細な事の中から、その例えばようじ半分とかね、市長室にいつもおって、市長室に用があって入ってくる人たちを、みんな拝ませて頂くというのです。
もうそん時に「なんか、非常に感動を受けた」っち言うんです。そこでえらいあの本当に神様の氏子としての見方を、家庭のもんだけではない、自分に接する人たちを全部、まぁ拍手を打ったりこうやって、拝むわけじゃないもん。心でその拝むわけなんです。と言う話を聞いて、それから早速実行させて頂いた。本当に合楽理念、これは人だけではない。ものでも一切を拝んでいくというその生き方を、あのう本気で稽古させて頂きよるけれども、なかなかもってできない。
昨日今歯医者に行きよるから、あん歯医者に行って、朝の六時頃からいって、番号をとっとかんならん。それから四時頃から行って、丁度一番じゃったから一番札をもらった。それでその待っとるとこへ、次から次と十人あまりの人がやって来た。そしてその十人あまりの人達がみんな入って来る、待合室でねそれで「おはようございます。」ばいいよるけれども、「ホッ」と気が付いたのは、「はぁ今日は一人も拝んどらんじゃった。」と言う事じゃったげな。
「まぁこんなにも目の粗いこと。本当にこんな気安いことを、心にかけとらん証拠。心行しとらん証拠と思うて、改めて拝み直した。」って。またあのそれから終日おかげを頂いてね、あのうおかげをまぁ拝み続けさせて頂いた。別に荷物になることでもなからなければ、せからしいっち言う事じゃないとじゃもんね。自分の心の中に拝むのだから。「はぁあげなやつが来よる。」っちいうて、むげにするのではなくて、あげなごたある奴の、その心の中には、神性がある。
神の氏子としての神性を備えておる人ですから、「拝まないけん。」と言われて、その拝むことをする。ところがその夕方げななんか、そうしよったら上からシャーっちいうてから落ちたげなたい。「なんじゃろか。」と思うたところが、丁度一年前に娘がね、金の、このネックレスをね、あの「こりゃ本当のものじゃけん大事にせないけんよ。」と言うてもろとったつを、もうあいもの無くしてしまっておった。それであきらめしもうとったところがです、丁度一年ぶりにね。
丁度一年ぶりに、その「落ちたけん。」っちいうて見たらその探しとってもなかった、そのネックレスが上から落ちてきたとこういうわけ。だから「始めてこの神様から頂いた気がする。」というて、今朝からお届けがあったがね、もう本気で例えば成そうと思えば、子供でも成せる様な事を、実行させて貰う所に、生き生きとしたおかげが伴うてくる。ですから合楽理念をマスターすると言う事は、合楽理念を自分の身につけると言う事は、いよいよ信心の基本というものが正しくなってくる。
子供たちもそれを真似するだろう。そして生き生きと神様と交流すること、おかげを頂くこと、力を受けて行く事を考えるだろう。そういう信心が伝わっていかない限りね、「はぁ、合楽に参いんなさい。合楽に参れ。」とそりゃあ「もう奇跡的こんなおかげがも受けられるばい。」と言うのではなくて、今朝から頂くようにもう合楽では、今日を境に奇跡という言葉は使わんって。もうなるほど医者が見離した、病人が助かる奇跡ですけれども、それは信心しておれば、当然当たり前のことだと。
もし受けられんとするなら、「こっちが、どうか間違っておるんだ。」という頂き方をしていけ。だから奇跡という言葉は、今日から無くなると言う様な、朝の御理解でした。「信心して、みかげのあるを不思議とはいうまじきものぞ。祈りてみかげが無い時は、これぞ、不思議なることぞ。」と教祖が、はっきり仰っておられることが、今日改めて分からせて頂いたような気がする。当然のこと。だから当然のこととして、なら合楽理念をマスターすると言う事。
いうなら実意丁寧神信心。いうなら「天地日月の心になること肝要だ。」と。天の心とは。地の心とは。日月の心とはとそれを追求して、それは限りがない信心を続けていくところに限りのないおかげ。そういう信心が姿勢になる時にね、子供たちに受け渡しができないはずがない。恐らくは子供たちがうんなら、また孫たちにも伝わっていく。そしてそういう信心がね、いつのまにか骸骨化するのではなくて、生きたおかげが伴わなかったら、もう生きた信心とは言えないのだから。
だから願って頼んで、おかげを頂くのじゃない。そういう根本姿勢ができて、信心生活をさせてもろうて、そして子供たちが孫たちが、「今日はお父さん、お母さんの帰幽日だ。今日はおばあさんたちの、今日は帰幽日。このおばあさんと、お父さんが、始めて合楽に御神縁を頂いて、本当の神様を、本当の信心を頂いて下さった大恩人の、今日は霊祭だ。」というて、真心込めた霊祭が出来るようなね、そういうおかげを私は、願わにゃいけんと思う。
本当に私共が御霊の世界、もうこれは絶対のものなんだ、御霊の世界というのは、だからこちらで信心の光を持っていかなければ、あちらではどうにもできない世界なん、ですからどうでもそういう光を頂けるような信心を頂いて、光を持って行って御霊ながらの助かり、御霊ながらのおかげを頂かせて頂くと同時に、子供にも孫にもそういう信心を伝えておくと言う言がね。
まぁいうなら骸骨化した宗教、それで形式だけをしてまぁ気休め的な信心やらお参りやら、又は御ほうじゅをしたり、霊祭をしたりしておるけれども、果たしてどれだけ神様に通じよるか。果たしてどれだけ神様に血に肉になっていきようるかと。まぁここにご縁を頂いて、まぁ十何年になりましょうかね。おかげを頂いてうんなら、自分自身たちの上にも「なるほど、神様のおかげ。」と言わずにはおれない、おかげを頂いていくと同時に、なら、先祖の御霊様たちにもです、血が通うていきよる。
もう骸骨化していきよるのに、肉が付いてきよると言う様なね。有難いおかげの世界をいよいよ広げていく。それにはやはり自分が、ただおかげに作用されるのではない。ただ子供たちに「お参りしなさい。おかげ頂くばい。」と言う様な信心じゃ伝わらん。信心のいわゆる根本姿勢と言った様なものを、親が頂いて親がそれを、言うて聞かせてしてみせておかなければでけん。そこには信心の継承ができないはずがない。私は今日はとくにね、その信心の継承と言う事。
あなた方が御霊の世界に入ってから、子供たちがやはりこんな思いを込めた、本当に真心を込めたいうならば、御霊祭でもできれるくらいな、子供たちに信心が育っていくならば、家繁盛子孫繁盛、もうこりゃ絶対間違えがないことだ、そういうおかげを残しておきたいと思うですね。どうぞみなさん今日はお暑いのに、どうも有難うございました。みんなご親戚でしょ。それはどうも有難うございました。